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2013年1月28日 (月)

白河上皇が激ホメした「天田の餅米」

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平安時代、加賀の国の「国府」は現在の小松市国府地内にありました。今で言う県庁所在地、県都が小松だったというわけです。その期間、約400 年。すごいじゃありませんか。特に白河上皇、鳥羽上皇、後白河上皇の院政時代には、加賀国府がかなり重要な場所と認識されていたようです。
小松市国府地域に、こんな話が伝わっています。 

~ 加賀国府の天田(てんだ)では、昔から良質の餅米がとれる。近郷でもこの餅米の人気は高く、お祝い事には天田の餅米を用いるのが最上だとするならわしがある。言い伝えでは、その昔この地の餅米で餅をつき、時の帝に献上したところ、帝は「唐・天竺に行ってもこんなうまい餅はない」と喜ばれたそうである。~

ここに出てくる「帝」というのが、白河上皇らしいのです。そして、白河上皇に餅米を献上したのが、時の加賀守(かがのかみ)で上皇の側近でもあった藤原為房。その為房が片腕として信頼し、加賀国に派遣していたのが、平正盛です。清盛のお祖父さんですね。大河ドラマ「平清盛」では中村敦夫さんが演じていました(ちなみに白河上皇は伊東四朗さん)。為房が加賀国司として赴任していた様子は『為房卿記』に書かれていますし、『平家物語』の「南都牒状」の段にも、正盛が加賀国司の検非違使として赴任していたことが記されています。おそらく正盛が段取りをして、白河上皇に餅米を献上したのでしょう。

平家一門の栄華は、この正盛から始まりました。「伊勢平氏」と言われて伊勢国に地盤があった一族ですが、為房・正盛以降、「院の近臣」と言われる上皇の側近が加賀国司を歴任しているところをみると(たとえば藤原家成:大河ドラマでは佐藤二朗さん、藤原俊成:百人一首撰者の定家の父)、上皇にとっても平家にとっても、豊かな加賀国は重要な経済的基盤になっていたと考えられます。

(歴史研究家・後藤 朗さんからご教示いただきました)

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白河天皇陵に天田の餅米を献上する
生産者の嵐さんご夫妻

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