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2016年9月 4日 (日)

白山市尾添の下山仏

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↑加宝神社 2016年9月1日


 奈良時代の末頃からずっと、日本人は神と仏を混交して祀って来た。本地垂迹(ほんじすいじゃく)説といって、日本の神々は実は仏が姿を変えて現れたもの、という思想が平安時代以降広まったことが、神仏習合を一層強固にしていた。その本地垂迹説によると、白山の御前峰(ごぜんがみね)の神は伊弉冉尊(いざなぎのみこと)で、本地仏は十一面観世音菩薩。そして大汝峰(おおなんじがみね)は大己貴命(おおなむちのみこと)で阿弥陀如来、別山(べっさん)は小白山別山大行事で聖観世音菩薩、というふうになっている。

ところが明治になると、神道の国教化を目指す政府によって神仏分離令が発布された。神社に併設されていた寺院や仏像が破壊されるという廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)も盛んに行われた。石川県でも明治7年1874年、白山における神仏分離の指令が山麓の村々に発せられ、仏像の下山が命じられた。かくて7月5日、運搬作業が始まる。当初は3日間で終える予定が、豪雨に見舞われて9日もかかり、村人たちは仏さんの祟りだと噂したという。

現在観光客も多く訪れる白峰の林西寺(りんさいじ)に展示されている8体の仏像は、山頂や室堂から下ろされたものである。そしてもう一箇所、こちらはあまり知られていないのだが、尾添(おぞう)の白山社に、12体の仏像と半鐘一口が安置されている。これらは、石川県側から白山に登る加賀禅定道の聖地である桧新宮(ひのしんぐう)や、上部の護応石、天池金剱宮にあったものだ。桧新宮の本地が地蔵菩薩であったため、地蔵菩薩立像が七体と多い。実はもう一体あったのだが、昭和59年に北陸電力が発電所建設記念として桧新宮を再建したため、その地へ返された。

尾添白山社の扉は普段は閉められている。管理する林源常さんに頼めば開けてくださるが、いかにも村人によって守られているというふうで奥ゆかしい。林さんの話によると、尾添は区として下山仏をもらい受け、政府の目をそらすために神社を建てて安置した。それからは、鎮守の神である加宝神社を「下の神様」、高台に建てられた白山社を「高の神様」と呼んで、丁寧に祀ってきたという。

下山仏が並ぶお堂の中に、金庫が一つ置かれている。中には、鎌倉時代の十一面観音像の頭部を、江戸時代中期の胴部につないだ観音像が入っている。厨子の由緒書には異国の渡来仏として信仰されていたことが記されているが、尾添の口伝によると、飛騨の婆が延棒にしようと盗み出したが、首だけが桧新宮に帰ってきたとのこと。それで、また盗まれては大変と、金庫に入れているそうだ。毎年7月18日の白山まつりの日に開帳される。こんなところにも純粋な信仰が垣間見え、微笑ましい。

尾添を流れる尾添川は、加賀禅定道における結界であったといわれる。尾添の密谷家に「泰澄和尚伝記」の最も古いとされる写本が伝わり、林家に白山牛王印(ごおういん)の版木が保管されていることも思えば、白山という聖地への入り口である尾添に、下山仏が留まる必然性があったようにも思われる。

(2004年6月記)


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↑白山下山仏社 2016年9月1日

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